デス・オーバチュア
第112話「紺碧の波、深紅の雨」



霊峰フィラデルヒア。
ホワイトの領地の最北端に存在する『此処ではない何処かへ繋がる門』のある場所。
本来なら荒れ果てた岩山であるはずのその山は、今は見事な大雪山と化していた。



「異常気象の原因を調査ね〜、支配者というより便利屋の仕事だね、これは」
「『管理者』としては適切な仕事だ……少なくとも暗殺や誅殺などよりはな……」
雪原を歩く影は三つ。
一人は質素なのか派手なのか解らない白い装束の金髪の青年、もう一人は黒い法衣を着た漆黒の長い髪、黒曜石の瞳の十七歳ぐらいの少女、最後の一人は桜色のフードで顔を隠した妖しげな人物だった。
「まあ別にどうでもいいけどね……で、コレはなんだ?」
金髪の青年ルーファスは、桜色の人物を邪魔くさそうな目で見る。
「アンベルだが……」
「それは知っている。なんで、こんなポンコツを持ってきたのかって聞いてるんだよ」
「あはは〜、わたしはタナトス様の『物』ですからね。どこへ行くにも常に一緒ですよ〜」
桜色のフード……アンベルはどこか優越を感じさせる笑みを口元に浮かべた。
「壊すぞ、ポンコツ……」
「うわ、怖いです〜、助けてください、タナトス様〜」
アンベルはタナトスの背後に抱きつくように隠れる。
「てめえ……」
「…………」
黒い法衣の少女タナトスは深く溜息を吐いた。
予想通りこの二人の相性は最悪なようである。
ファントム壊滅の日は、ルーファスはアンベルなど眼中にも止めなかったので、この二人は今回が初顔合わせといっても良かった。
少なくとも、この二人がこうして会話している姿は初めて見る。
ルーファスはファントム壊滅の日から今日まで殆ど庵から降りてこず、ファーシュ以外の機械人形とはまったく接触してないようだった。
「ちっ、人形なら人形らしく、控えめに振る舞ったらどうだ? 紫の姉妹機みたいに……」
「あはは〜っ、わたしにはファーシュちゃんみたいな人間に都合の良い服従回路はついてないんですよ」
「ついでに良心回路もついてなさそうだな……」
「その代わり、タナトス様を愛する純情可憐な乙女回路ならついてますよ〜♪」
「やっぱ壊す……」
「あれぇ〜、ご無体な〜」
アンベルは本気で怖がっているのか、ふざけているのか、ルーファスから逃げるように、タナトスの周りを駆け回る。
「ルーファス、あまりアンベルを虐めるな……」
とりあえず、タナトスはアンベルの方を庇うことにした。
「うわ、酷い、タナトス。ポンコツの方の味方なんだ? 俺とお前の十年越しの愛はどこにい……」
「そんなものは最初からないっ!」
アンベルは言うに及ばず、ルーファスはルーファスでふざけているというか、以前通りの軽い調子である。
アンベルが居て、二人きりでないこともあり、以前約束した真面目な話……ルーファスの正体や本心を聞き出すことはできなかった。
「……まあいい、今は仕事を片づけるのが先決だ……アンベルもあまりルーファスをからかうな、この男は本当にお前をあっさりと壊すような男だぞ……」
「あはは、知ってますよ。データ的なことなら多分タナトス様よりも多くのことを……ねっ、光の半身さん」
フードから覗くアンベルの口元が妖しく歪む。
「てめえ、たかが千年前の人形のくせになんでそれを……」
ルーファスの瞳から一切の感情が消えた。
どこまでも冷たく透き通るアイスブルーの瞳がアンベルを射抜くように睨みつける。
「あまり甘く見ないでくださいね。わたしは狩人型とはいっても、基本ベースは頭脳労働型なんですから、情報の収集能力と分析能力は姉妹最強です」
「……何の話だ、アンベル?」
何のことを言っているのかタナトスにはさっぱり解らないが、アンベルが姉妹で一番頭が良いというか、小賢しそうというのは凄く納得できる気がする。
逆にバーデュアなどは間違いなく姉妹で一番頭が悪そうに見えた。
「いえ、たいしたことではありませんよ、タナトス様。ただ、わたしには彼の素性、正体……起源が解るそれだけの話です〜」
「ポンコツ、最後の忠告だ。それ以上、それに関することを喋ったら……ネジ一つ残さず消し去る」
ルーファスの声は感情が感じられず果てしなく冷たい。
「……解りましたよ。わたしだって命がけであなたをからかう気なんてありませんから……タナトス様に聞かれない限りは何もバラしませんよ」
アンベルの口元から笑みが消えていた。
ルーファスの宣告、殺意が本物だと判断したのだろう。
「……ルーファス、お前、光皇という以外にもまだ何か……隠して……」
「謎は常に一つぐらいはあった方が……ミステリアスで魅力的だろう?」
ルーファスはそう言って微笑を浮かべると、先頭をとって歩き出した。
背中が、その話はもうこれで打ち切り、これ以上追求するなと語っているように見える。
「それはこの世界に生きる者は誰も知らない……始まり以前の物語……」
「ポンコツ!」
ルーファスは振り返るより速く、光輝が集まる左手を突きだした。
「解ってますよ。これ以上は喋りません」
そう答えるアンベルの両手には光輝の弓矢が出現している。
「図に乗るなと何度言わせる気だ? 核熱の閃光などで俺の光輝と互角にやりあえると思うな」
「ええ、解っていますよ。わたしのは全てを一瞬で蒸発させる閃光ですけど、あなたのは全てを一瞬で『消滅』させる閃光ですからね……所詮、『科学』の力に過ぎないわたしの力が、この世の法則そのものである現象(あなた)に通用するなんて思い上がってはいませんよ〜」
アンベルはあっさりと光輝の弓矢を消し去り、無防備な姿をルーファスに晒した。
「ちっ、いちいち気に触る、核兵器野郎だ……」
「せめて、核兵器女郎とか、最終兵器少女とか呼んでくださいよ。これでも女の子なんですから〜」
「ふん……」
ルーファスは左手から光輝を消すと、前方に向き直り、何事もなかったように歩き出す。
「アンベル……お前、さっきからいったい……」
「あはは〜っ、あの方相手だと茶化すのも命がけですよ〜。タイトロープがどんどん細く削れていくみたいでスリル満点ですね♪」
「お前……」
タイトロープ……綱渡り用の綱……つまり、アンベルは文字通り命がけでルーファスを挑発して遊んでいるのだ。
いつ、ルーファスに跡形もなく消し飛ばされるかもしれない危険を犯してまで、彼が無視できない、他人に知られたくないであろう情報を口の端にかける。
「アンベル……頼むからそういう遊びはやめてくれ……私の方が見てて心臓に悪い……」
「そうですね、タナトス様がそう言うならもうやめますよ。充分楽しめましたし……その代わり、クリアに帰ったら何かご褒美くださいね〜♪」
「…………」
「あ、ご褒美と言っても、物じゃなくて、ちょっと可愛がってくださるだけでいいんですよ。例えば、夜這……んっ、夜のご奉仕を受け……」
なぜ、自分がこんなに頼み込んだり、ご褒美などをあげなければならないのか……タナトスには納得いかないものがあった。
「……とにかく、頼む……これでは仕事に集中できない……」
「は〜い」
アンベルは口元に意地悪げな笑みを浮かべながらも、元気良く同意の返事をする。
「……何かまた苦労の種が増えた気がする……」
自分とルーファスの関係すら、今物凄く微妙で曖昧で、考えなければいけないはずなのに、アンベルとルーファス、他人と他人の人間関係にまでなぜ自分が気を遣わなければならないのだろうか?
「あ、タナトス様、アレってなんでしょうか?」
「……ウサギ?」
タナトスの悩みを呑み込むように、ソレらは雪崩のようにやってきた。



ソレは雪でできた可愛らしいウサギの大群。
雪ウサギ達は雪崩のように一斉にタナトス達に向かって降ってきた。
「ちっ……タナトス、こいつらは『敵』だ、構えろ!」
「えっ……?」
戸惑いながらもタナトスは、魂殺鎌を左手に召喚する。
「敵?……いや、雪崩?」
次にどうすればいいのかタナトスは瞬時に判断することができなかった。
「タナトス様、あれが何かとか、敵と認定できるか否かではなく、どうすればいいか考えてください! 雪ウサギだろうが、雪崩だろうが、このままここにボケっと立っていたら、呑み込まれてジ・エンドですよ!」
アンベルの指摘でタナトスはようやく状況を理解する。
「ポンコツ! アレ全部迎撃できるか?」
「あははっ、まとめて吹き飛ばせないことはないですが、そしたら今度は本物の大雪崩が起きますよ〜」
「だよな……ちっ、やっぱり俺がやるしかないのか?」
ここが坂道であり、雪山であることが問題だった。
破壊エネルギーを迫る雪ウサギ達に叩きつける……爆発を起こすということは、雪山に衝撃を与えて雪崩を誘発する可能性が高い。
「爆発ではなく、一瞬で消去するように光輝を調整……ああ、面倒臭い!」
文句を言いながらも、ルーファスはタナトスとアンベルの前に出た。
「光輝……」
「ハイドロプレッシャー(水重圧砲)!」
ルーファスが光輝を放とうとした直前、山下から叫び声と轟音が聞こえてくる。
「タナトス様!」
アンベルが一瞬でタナトスに抱きつきそのまま空高く飛翔したかと思うと、突然山下から押し寄せてきた大津波が、雪崩と化している雪ウサギの大群と正面衝突した。



「極まった……ハイドロプレッシャー……ビックウェイブ(大津波)バージョン!」
静寂を取り戻した雪の大地に、幼い少女が降り立った。
紺碧の髪と瞳を持つ水兵服の少女、水中型機械人形アズラインである。
「きゃっ!?」
自己陶酔しているアズラインの足下から突然、人の腕が突き出てきてアズラインの足首を掴んだ。
次の瞬間、物凄い勢いで、雪の中から白いコートの青年が姿を現す。
「雪山で津波なんか起こすな、馬鹿餓鬼!」
大津波は雪ウサギを全て呑み込み、掻き消した後、この地の寒さで凍り付き、あるいは雪に水を吸い込まれ、雪と同化して消えていた。
「ええ? でも、水撃は爆発より雪山では安全だと思うよ? すぐに凍るか、雪に吸収されて収まるもん♪」
「なにが「もん♪」だっ! 俺は雪崩と津波の間に見事に挟まれてだな……」
「あははっ、それでよく生きてたね、お兄ちゃん〜」
アズラインはアンベルを彷彿させる楽しげで意地悪げな笑みを口元に浮かべる。
「勝手に跡をつけてきていたんですね、アズラインちゃん……」
「……間違いなく姉妹だな、お前達……やることの無茶苦茶さと意地悪げな笑みがそっくりだ……」
アンベルとタナトスが空からゆっくりと降下してきた。
「どう? ボクは役に立ったでしょう、アンベルお姉ちゃんのご主人様?」
アズラインはタナトスに子供らしい無邪気な笑顔を見せる。
「むっ、そうやって媚びて、自分を売り込む気ですね……アズラインちゃん、なんて恐ろしい子……」
「あははっ、腹黒なお姉ちゃんと一緒にしないでよ」
「あははっ、ぶち殺されたいですか、アズラインちゃん?」
「…………」
タナトスは、この姉妹はそっくりだと思った。
意地悪げな笑顔だけではなく、性格、質の悪そうな所が……。
二人ともお互いに認めたくないだろうが、アズラインは、バーデュアやファーシュと違って、少し見ているだけで姉妹と確信できるほど、アンベルに酷使していた。
逆に言えば、バーデュアやファーシュはアンベルと姉妹だと言われなければ気づかないほど似ていない。
バーデュアは馬鹿で単純だし、ファーシュは素直で従順で、とてもアンベルやアズラインのような『魔女』や『小悪魔』と姉妹には思えなかった。
ちなみに、魔女と小悪魔というのは種族や職業ではなく、彼女達の性格、性質をの例えた呼び名であるが、これほどこの二人に似合っている呼び名も他にない気がする。
「ちっ、俺としたことがこんな餓鬼の不意打ちを……んっ? もう次が来たみたいだな」
「ルーファス?」
「喜べタナトス、今度はちゃんと戦える相手だ。見た目はふざけているがな……油断するな」
ルーファスが言い終わると同時に、タナトス達の周囲のあちらこちらから突然、雪が間欠泉か何かのように噴き出した。
「……なんだ、こいつらは……?」
雪の中から現れたのは、二つの大きな雪玉が重なるようにしてできている雪像。
「OH! 雪だるま! オリエンタル(東方の)な雪の芸術ネ! HAHAHA……とか言うんでしょうね、バーデュアちゃんがここに居たら……」
アンベルが物凄くそっくりなバーデュアの口真似をした。
「……雪だるま?」
雪玉の合体した石像は、上の雪玉には顔を描くように……目や鼻の代わりに石とも宝石ともつかない物が埋め込まれている。
下段の雪玉からは枯木のような二本の腕が生えていた。
最大の問題は枯木のような腕が持っている得物である。
「…………」
その得物を見て、タナトスは何ともいえない複雑な気分になった。
「解る解るよ、黒髪のお姉ちゃん。確かに嫌なものだよね、自分と同じ得物をあんなふざけたモノに持たれるのは……」
アズラインはうんうんと頷く。
雪だるま達は全員、漆黒の『大鎌』を装備していた。
「……デススノーマンか……」
ルーファスは何か呟いたかと思うと、ライトヴェスタを召喚する。
「……なんか不愉快だ……」
雪だるまの一体が一瞬でタナトスの前に移動したかと思うと、大鎌を振り下ろしてきた。
「つっ!」
雪だるまの大鎌を受け止めた瞬間、魂殺鎌に予想外な強烈な衝撃と重さが走る。
「つ、強い……?」
反撃に移るどころか、吹き飛ばされないように踏ん張るのがやっとだった。
「油断するなと言ったろ。ふざけたデザインだが、ファントムの肉だるまと同じぐらいのパワーはある」
ルーファスの言う肉だるまとはファントム十大天使最強の怪力を持つゲブラー・カマエルのことだった。
「そして、肉だるまと違って……」
ルーファスは同時に襲いかかってきた二体の雪だるまの大鎌をライトヴェスタで弾き返す。
「スピードもそれなりに速くて、剣術……大鎌術? とにかく技術もネツァク辺りと互角ぐらいか?」
「なっ!? そんな馬鹿な話があるか!?」
こんなふざけた存在がファントム十大天使と互角以上のパワーとスピードとテクニックを持つなど……とても信じられなかった。
「一、二、三……全部で七体ですか。タナトス様が一体、ルーファス様に二体ということは……じゃあ、わたしも一体相手にするので、残り三体はお願いしますね、アズラインちゃん〜」
「馬鹿言わないでよ、お姉ちゃん! 普通逆だよ! お姉ちゃんが三体殺ってよね!」
言い合っているアンベルとアズラインの元に、残りの雪だまる達が一斉に襲いかかる。
「ちぃっ!」
アンベルの両手から光輝の矢が大砲のように撃ちだされた。
しかし、雪だるまは大鎌の刃を盾のように突きだし、光輝の矢を防ぎきる。
「うわ、なんて生意気なんですか!? わたしの矢に耐えるなんて!」
大砲の撃ちだされるような音と共に、光輝の矢が文字通り矢継ぎ早に撃ちだされ続けた。
雪だまるは大鎌を物凄い速さで振り回し、迫る光輝の矢を全て切り落とす。
「なっ……」
「うわ、冗談抜きに強いね、この子達……お姉ちゃん、リミッター外して撃たないとヤバい……よっと!」
アズラインは銛を巧みに操って、二体の雪だるまによる大鎌二本の同時攻撃を捌ききっていた。
「全力で撃てって言うんですか? エネルギー消費が割に合いませんよ……水晶柱も置いてきちゃいましたし……」
「だって、お姉ちゃんはボクと違って近距離戦主体じゃな……危ない、お姉ちゃん!」
四体目、最後の雪だるまが死角からアンベルに斬りかかる。
だが、斬撃の音は響くことはなく、代わりに銃声が響いた。
アンベルの右手にいつのまにか巨大なハンドガンが握られている。
発射された二発の弾丸は一発は大鎌の刃を真ん中から叩き折り、二発目の弾丸は雪だるまの頭部を三分の一ほど吹き飛ばしていた。
「自分から死地の間合いに飛び込むとは愚かですね〜」
さらに二発の弾丸が発射され、雪だるまの頭部(上段の雪玉)が跡形もなく吹き飛ぶ。
「お姉ちゃん……弓士のくせに、銃の方が切り札って……何か間違っていると思うよ……」
「そうでもないですよ!」
アンベルは一瞬で弾丸を再装填すると、さっきまで光輝の矢で牽制していた一体目の雪だるまに向けて四発全弾を連続で発砲した。
弾丸は全て大鎌で切り払われ、雪だるまの周囲で爆散する。
「ほら、あくまで超近距離じゃないと、こっちだって有効ではありません」
アンベルは再装填したハンドガンを懐にしまうと、再び光輝の弓矢を作りだした。
「いや、そういう問題かな……て、お姉ちゃん、それまだ生きている!?」
頭部を失って停止したかに見えた頭無しの雪だるまがアンベルに襲いかかる。
「ちっ!」
アンベルの左手の袖口から片刃の刃が飛び出すように生えた。
アンベルは擦れ違いざまに、その刃で雪だるまを斜め一文字に切り裂く。
「さっき得物を破壊しておかなかったら、危ない所でした……」
「まったく、お姉ちゃんは狡いよね、弓矢だけではなく、銃に剣……ボク達全員分の装備持っているんだもん」
アズラインは、二体の雪だるまと剣戟を続けながら、羨ましそうに言った。
「そうでもないですよ? 銃は威力重視で弾数が四発しかない欠陥銃だし、刃は全身装備のオーバラインちゃんと違って、それぞれ両手に一本ずつしかありませんし……全てあなた達の武装の実験品……プロトタイプに過ぎません」
アンベルは妹達全員の実験体……それゆえにある意味万能型であり……悪く言えば器用貧乏なのである。
「それ全部巧みに使い分けているお姉ちゃんの器用さには呆れるよ……」
アズラインは二体の攻撃を受けきるだけで精一杯で、反撃に転じることも、一度間合いを取ることもできなかった。
「やっぱり、バーデュアちゃんでも連れてくれば良かったですね。威力的には零距離でも撃たなければ通じないでしょうが、牽制には使えたはずです、バーデュアちゃんの連射や乱れ撃ちは……」
「まったくだよ。これじゃあ、大技が使えない……」
アズラインはハイドロプレッシャー等の大技で一気に決着をつけたいのである。
けれど、そのためには数秒の溜めや、自分まで吹き飛ばないために一定の距離を相手との間に稼ぐ必要があった。
「バーデュアお姉ちゃんがいたら最高の囮……もとい、牽制役になるのに。それか、スカ……ううん、なんでもないよ」
アズラインは途中で言葉を掻き消す。
アレが居たら居たらで別の問題が生じるのだ。
「確かに、あの子ならこんなに苦戦しない……んっ!? アズラインちゃん、離れなさい!」
「お姉ちゃん?……うっ!?」
アズラインは突然、銛すら捨てて、雪原を転がるようにしてその場から離脱する。
直後、空から赤い雨が降り注いだ。



その赤い雨は、一滴一滴が鋭い深紅の『メス』でできていた。
赤い雨の直撃を浴びた二体の雪だるまは、体中を蜂の巣にされたかと思うと、直後、崩壊し雪となって雪原へと還る。
アンベルとアズラインは赤い雨の源……空の一点を凝視していた。
そこに、日傘を差した、黒い一色の人形のような可愛らしい洋服を着た幼い少女が浮いている。
顔は日傘に隠れて見えなかったが、アンベルとアズラインはこの人物の正体を確信していた。
「……深紅……スカーレット……」
深紅(スカーレット)、アズラインと対を成す飛兵型……飛行(エアー)型の深紅の機械人形。
赤い数え切れないほどの無数のメスはいつの間にか消え失せていた。
その代わり、雪だるま達が消滅した場所だけが、大量の血でも注がれたように赤一色に染まりきっている。
「……お姉ちゃん……スカーレットお姉ちゃんにあんな能力ないはずだよ……それに洋服だって違う……」
アズラインの知っているスカーレットの衣装は、赤ロリと呼ばれるフリルやレースのいっぱいの赤い洋服か、ファーシュのメイド服を赤い一色で染めたような深紅のメイド服のどちからのはずだった。
それなのに、今、空高く浮かんでいる少女の衣装は、ゴスロリとか黒ロリと呼ばれる衣装に近いが、それほどフリルやレースが派手なわけではない、人形が着るような可愛いらしいデザインの黒一色の洋服。
「衣装は大した問題じゃいですよ。役目を放棄した際に、やめたんでしょうね……昔からあの子は自分の名前……『色』を嫌っていましたから……」
名前と同じ色の衣装を纏うというのは、アンベル達機械人形に、使命と同じように制作された際に一応決められた暗黙の規制(ルール)のようなものだった。
別に破っても何のリスクも問題も起きない。
ただ、別に破る理由がないというか、確かにこの洋服のルールがあった方がお互いにいろんな意味で『解りやすい』ので守ってきたのだ。
アンベルが最初に相手をした一体目の雪だるまの背に突然、蝙蝠のような二対の羽が生えたかと思うと、空に浮遊する少女に向かって飛翔する。
おそらく、雪だるまは、少女をこの場で一番の強者、真っ先に倒さなければいけない相手と判断したのだ。
その判断はおそらく正しい。
正が、間違っていた。
雪だるまは撤退するべきだったのである。
相手は、真っ先に倒さなければならない強者ではなく、絶対に勝てない圧倒的な強者だったのだから……。
少女の握りしめていた左手に三本の『爪』が生えた。
より正確に言うなら、それは白銀に輝く三本のメス……医者が患者を解剖するための刃物である。
雪だるまは接近すると、日傘ごと少女を一刀両断にしようと大鎌を振り下ろした。
だが、大鎌は振り切られることなく、三つに切り分けられ、崩壊する。
そして、次の瞬間、雪だるまは無数のサイコロのように細切れになって、地上に降り注いだ。
降り注ぐ雪のサイコロの礫が、地上の雪と同化するように消滅する。
その様に一瞬、アンベルとアズラインが視線を向けた一瞬の間に、空に居たはずの日傘の少女は消え去っていた。



タナトスと雪だるまは互角とも言える斬り合いを続けていた。
武器も同じなら、スピードもパワーもテクニックも丁度同じぐらい。
いや、パワーにおいては雪だるまの方が優っていた。
だが、その分、スピードにおいてはタナトスが僅かに優り……能力の合計の平均値は結局互角と言える。
負ける気はまったくしなかった。
さして驚異も威圧感も感じない。
にも関わらず、いや、だからこそ手間取っていた。
まるで自分の分身と組み手をしているかのような気分。
まず負けることがない代わりに、一気に圧勝することもできないのだ。
相手の方が自分より明らかに強ければ、底力とかが引き出てきたりもするのだが、こうも危機感も殺意も感じさせない相手だと、タナトスのテンションも逆にいまいち盛り上がらない。
互いの存在を賭けた殺し合いというより、自己鍛錬、練習をしているような気分になるのだった。
『タナトス〜? こんなのにいつまで手こずっているの?』
タナトスの脳裏にリセットの声が聞こえてくる。
「リセット……起きたのか?」
『キンキン、ギンギン、こう鍔迫り合いの音がうるさくちゃ寝てられないわよ』
「すまない……」
『それより、なんで手こずってるの? 全然強そうじゃないわよ、こいつ? 殺気も威圧感も何にもないじゃない』
「解っている……だが、逆にやりにくいんだ……こちらの動きに合わせて反応するだけの人形でも相手にしているみたいで……」
『なるほどね……同じパワー、スピード、テクニックで合わせてくる物真似人形か……確かに、それは鬱陶しいわね』
「……そうなんだ……」
リセットと会話している間も、剣戟は休むことなく続いていた。
『だったら話は簡単よ。真似できっこない大技で一気に消し飛ばせいいのよ、デスストームとかでさ』
簡単でしょうといった感じでリセットは言う。
実はその方はタナトスも考えないではなかった。
「だが、こう休むことなく打ち込んでこられては……」
『死気解放する間も無いか……解ったわ、リセットちゃんが手を貸してあげる。そうだ! せっかくだから、例の技も試しましょうよ〜!』
「……あれをやるのか?……こんなの相手に……?」
名案だといった感じのリセットに対して、タナトスはあまり乗り気ではない。
『別に出し惜しみすることもないじゃない。丁度良い実験台よ〜』
「解った……やってみる……」
『んじゃあ、行くわよ〜っ!』
突然、タナトスの胸の中から半透明なリセットが上半身を飛び出させていた。
「Aire!」
リセットの口から意味の解らない言葉が発せられる。
「アェティール! 空気よ刃となれ!」
リセットの突き出した右掌から目に見えない何かが放たれ、雪だるまに直撃した。
不可視の風によって雪だるまは一瞬だけ硬直し、僅かに後退させる。
リセットの姿は再びタナトスの『中』に戻り消えていた。
『リセットちゃんに同調してね。脳裏に浮かんできた動作を言葉をそのまま素直に実行して……』
リセットの声は再びタナトスの脳裏、タナトスだけに聞こえる声になる。
(……解った)
脳裏に浮かんだイメージのままに、タナトスは大鎌を大上段に振りかぶった。
世界を支配する色が変わる。
タナトスの体から溢れ出した死気が世界を灰色一色に染めていった。
『Aeon! アイオン! 無二にして無限!』
リセットの声と同時にタナトスの体が青紫に発光する。
灰色の中の青紫。
二つの色が混ざり合い、不可思議にして美妙なる色が世界を埋め尽くした。
そして不可思議で美妙なる色の世界が雪だるまを包囲するように球状に段々と縮小していく。
「アカッシク・デスカレーション!」
雪だるまを包み込んでいた不可思議美妙な空間は爆発的に縮小し、タナトスの両手に収まるぐらいの球体と化した。
「……デッドエンド・スタッカート!」
タナトスは莫大な死気を放出し続けている大鎌を迷わず振り下ろす。
雪だるまが封じ込められた球体は真っ二つに両断され、さらに内側に収束されるような形で大爆発した。



「デッド(死)とエンド(終わり)の断層(スタッカート)ね……なるほど、相手の周囲の空間を空間構成物ごと完全捕縛し……さらに超圧縮して『封殺』した上に、死気の刃を纏わせた魂殺鎌で封殺した空間、空間構成物ごと対象を完全破壊するわけか……あれなら対象が魂殺鎌を上回る硬度をしていようが無意味……対象の肉体、霊体、魂、全てを封殺した空間ごと完全破壊するわけだからな……封殺さえ成功すれば破壊できない存在はこの世に存在しない……物騒過ぎる技だな……」
二体の雪だるまが同時に背後からルーファスに大鎌を振り下ろす。
だが、二本の大鎌はルーファスの体に届くことなく、二体の雪だるまは、ルーファスのライトヴェスタが一瞬光ったかと思うと、一瞬にして跡形もなく消滅した。
「遅すぎるんだよ。俺と同じ光速で動けとは言わないが、せめて亜光速ぐらいには達してみせろ」
ルーファスは文字通り光速の剣技で、雪だるま達が大鎌を一振りするより速く、二人を原子や分子といったサイズにまで切り刻んでいたのである。
それゆえに、見た目には雪だるま達が突然跡形もなく消滅したようにしか見えなかったのだった。
「ちっ、それにしてもデススノーマンってことは……誰の仕業か殆ど確定だな……たく、面倒臭せえ奴だ……」
こんな雪の化け物を作れる奴は知り合いに一人しかいない。
もう一人似たようなことをできた知り合いも居ることは居たが、その者の得意とするのは雪ではなく氷であり、何よりその者はすでに故人だった。
「さて、どうしたものかな……」
ルーファスは頭をかきながら、しばし、熟考する。
「……やっぱりそうするのが一番速いか……タナトス! 俺は先にこの辺りをちょっと調べてくるよ!」
「ルーファス? おい、ちょっと待……」
「じゃあ、『門』の前で落ち合おう」
ルーファスは、タナトスの返事も待たず、姿を掻き消した。










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一言でいいので、良ければ感想お願いします。感想皆無だとこの調子で続けていいのか解らなくなりますので……。



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